高松の道場と練習風景について

高松の道場は戦前の昭和11年から大学が栄谷に移転する昭和62年まで和歌山大学体育会弓道部の道場として使われました。

昭和11年7月着工。10月落成、同月15日に開場式が行われました。また、昭和17年には巻き藁小屋が増築されました。

昭和16年には当時の学長によって
「礼記に曰く、射は仁の道なり、射は正しきを己に求む、己正しくして而して後に発す、発して中らざる時は則ち己に勝つ者を怨みず、反ってこれを己に求むるのみ」
という意味がこめられた「正己堂」という額が掲げられたとといいます。

戦後昭和24年5月に新制大学として和歌山大学が発足し、昭和29年に当時倉庫(大工小屋?)となっていた弓道場と弓道部も西平氏によって再建された。

その後昭和62年3月29日栄谷の道場の道場開きが行われるまで使用されました。 現在は存在していませんが現道場の玄関にある黒板や、「本座」や「射位」の札、また姿見などに当時の面影を見ることができます。

高松の道場の写真

弓光10号、11号「道場風景」より

こうやって見てみると今の道場でも見覚えのある備品がいくつか写真の中にありますね。

昔の道場の図面



高松の道場の図面です。
あっさりとしてるものの寸法が記してあり、巻き藁部屋があり立派なつくりだったことがわかりますが今の道場に比べると狭かったようです。また的5個立てることができたようです。

現在の道場の図面


おなじみの現在の道場(3代目)です。
スキャナの関係で全部は取り込めませんでしたが、こちらは本格的な図面になっています。

男子控えはそのままですが現在師範室になっているところが女子更衣室で女子控えが控え室になっています。




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